裁判例から見る「従業員に熱中症の危険性や予防方法を周知する重要性」

この対談に登場する専門家

魚住 泰宏

弁護士。平成5年大阪弁護士会登録。平成26年大阪弁護士会副会長。令和2・3年日本弁護士連合会研修委員会委員長。日本労働法学会会員。経営法曹会議幹事。

人事労災に関する法律相談・紛争代理、労働関係の執筆・講演など幅広く活動する。

この対談に登場する専門家

平山 直樹

弁護士。令和元年大阪弁護士会登録。

人事労災に関する法律相談・紛争代理に積極的に取り組む。

奥山:前回までに、熱中症を予防する対策が重要だとお聞きました。具体的に、使用者(企業)はどのような点に留意すればよいのでしょうか。

魚住:働く場所の気候や気温、作業内容によって対策は異なります。それでは、裁判例から具体的なケースを見ていきましょう。

平山:「暑い日の農業総合試験場で農業用水が断水し、主任研究員であった当時49歳の男性が、水やりのため30~50mの距離を容量6リットルのジョウロを持って50回程度往復するなどの作業を行いました。同日帰宅後、虚血性心疾患によって死亡したため、遺族が使用者に対して損害賠償を請求した」という事例です。

奥山:これはやはり、熱中症が原因だったのでしょうか。

平山:裁判所は、このような作業によって熱中症を発症し、これによる虚血性心疾患により死亡したと判断しています。

奥山:では、作業によって熱中症を発症したということで、使用者に対する損害賠償が認められたのですね。

平山:いいえ。使用者に対する損害賠償は認められませんでした

奥山:ええっ…!どうしてですか。

平山:様々な論点があるのですが、裁判所は使用者には主任研究員が熱中症を発症することを予見することはできない。そのため使用者は、熱中症発症の具体的リスクがあることを前提とする詳細な労働衛生教育、作業計画の立案、水分及び塩分の摂取指導等の義務を負わず、使用者に安全配慮義務違反はないと認定しています。

奥山:使用者がどんな対策をとっていたかを踏まえて、もう少し詳しく教えてください。

平山:使用者の衛生委員会が熱中症対策について議題に取り上げ、熱中症を予防する対策について詳細に記載された文書を2度、従業員に回覧していること、この主任研究員自身も衛生委員会の一員として熱中症予防について審議・他の職員に周知すべき立場にあったことなどから、この主任研究員は上司の指示等を受けずとも、熱中症予防方法を十分に理解していたと認定されています。

魚住:そのうえで、この試験場には空調・冷蔵設備完備の施設や、冷蔵庫・扇風機が備わった休憩室もあり、かつ、水やりをするうえで肉体的負荷を抑える道具(ホースやジョウロを運搬するための一輪車など)も用意されており、たとえWBGTが「厳重警戒」または「危険」を示している環境下で農業用水が断水しているという特別な状況にあったとしても、この主任研究員が水やり等の作業に従事するなかで熱中症を発症すると使用者は予見できないため安全配慮義務違反はないと認定しています。

奥山:熱中症の予防対策を周知したり、実際に対策をしていることが重要ということですね。

平山:かなり過酷な環境での重労働により熱中症を発症したにもかかわらず、使用者の安全配慮義務違反が認められなかった要因として、この主任研究員が熱中症の危険性を熟知しており、かつ熱中症の予防手段を把握していたことが大きく影響していると考えられます。もし、衛生委員を務めていないか、たとえ衛生委員を務めていたとしても熱中症対策について審議したことがない場合には、安全配慮義務違反が認められた可能性があります。

魚住:また、たとえ熱中症の危険性を熟知していたとしても、この試験場に熱中症を予防するための十分な設備がなかった場合にも、やはり安全配慮義務違反が認められた可能性があります。

奥山:安全配慮義務違反にならないためには、熱中症の危険性や予防方法を周知するとともに、従業員の熱中症を予防するための十分な設備を整えることが重要なのですね。